地方移住と家づくり|シェアハウスを出たその先にあった、新しい時間

家のこと

そろそろ、次の暮らしへ

そろそろ暮らしを変えたい。
そんな気持ちがふくらんできたのは、シェアハウスでの生活が10年近く経った頃でした。
ひとつの時代が終わるような感覚と、次のステージへの期待。節目のようなタイミングで、私は新しい暮らしへと一歩を踏み出しました。

鎌倉のシェアハウスを離れると同時に、長く勤めていた薬局の仕事も一区切りに。
実は、それ以前から続けていた副業があって、そちらのお仕事は遠距離での勤務を許可してくれていました。
そのおかげで、「住む場所」をもっと自由に考えることができるようになったのです。


実家での時間と、次の準備

引っ越しのあとは、しばらく実家でのんびり。
家族との時間を味わいながら、次にどこで暮らし、どこで働くか、自分の中でゆっくりと整理する期間になりました。

「家を建てたい」というのは、もう自分のなかで決まっていました。
建てる場所も、祖母の家を取り壊して、その跡地に──というのが最初からの考え。
ただ、そう決めていたとしても、すぐに実現できるわけではありません。
働き方のバランスや資金面、時期のことなど、考えるべきことはたくさんありました。
焦らず、でも確実に、未来の暮らしの輪郭を描いていきました。


海の京都で過ごす日々と家づくりの歩み

準備が整ってきた頃、次に選んだのは京都府北部の舞鶴。
天橋立や伊根といった美しい風景にも気軽に足を運べる距離で、
週末のたびにちょっとした旅気分を味わっていました。

この間も、家づくりの計画は少しずつ進んでいて、
相談していた地元の建築会社とリモートでやりとりを重ねていました。


家づくりの道のり 最初に直面した大きな壁

とはいえ、家づくりは楽しいことばかりではありませんでした。
とくに大変だったのが「住宅ローン」の審査です。
転職したばかりだったことに加え、新しい働き方での収入形態も一般的とは少し違っていたため、
審査に通るのが難しく、銀行探しにはかなりの時間とエネルギーを使いました。

それでも、「好きな家を建てたい」という思いを原動力に、
少しずつ、ひとつずつ、必要なことを進めていきました。


家づくりとともに変わった暮らしの場所

舞鶴での暮らしも、冬にかけては通勤の不便さを感じるようになり、
別の勤務先へと移ることに。
次に選んだのは京都市内でした。
けれどその3ヶ月後には、今度は福井県内で働けることになり、
暮らしの拠点も再び移すことにしました。

まるで家づくりに合わせて環境が整っていくようで、不思議な流れを感じていました。
こうして、家づくりと仕事の両方がちょうどよくかみ合い、ようやく今の暮らしにたどりつきました。


一緒につくってくれた人たちのこと

家づくりのあいだ、担当してくださった方々がとても素敵な方ばかりでした。
私が言葉にしきれない「こんな空間にしたい」という想いまで、
自然と受け取ってくれているような安心感がありました。

トラブルが一つもなかったわけではないけれど、
何かあったときも誠実に、そして必ず納得のいく形にしてくれた。
建て終えた今も、「またあの方たちと何かを作りたい」と思えるくらい、
大切な時間を共にしてもらった気がします。


暮らしが、少しずつ馴染んできた

最初はまだ「ここが自分の家なんだ」とどこかふわっとしてたけれど、
毎日のごはん、洗濯、掃除、そんなふつうのことを繰り返すうちに、
この家での暮らしが、ちゃんと“自分のもの”になってきた気がします。

新しい家具や道具は、家ができる前からしっかり吟味して、気に入ったものを選んでいました。
でも、実際に暮らしてみて気づくこともあって、
細かなものは少しずつ、今も揃えている途中です。

お気に入りのものを少しずつ増やしたり、植物を置いてみたり、
静かだけど、じわじわと楽しくなってくる感じ。

たぶん、この家での暮らしはまだまだ途中。
これからも、少しずつ育てていけたらいいなと思っています。
いまはまだ途中。
でも、その“途中”が、案外いちばん楽しいのかもしれません。

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