■ そろそろ、次の暮らしへ
そろそろ暮らしを変えたい。
そんな気持ちがふくらんできたのは、シェアハウスでの生活が10年近く経った頃でした。
ひとつの時代が終わるような感覚と、次のステージへの期待。節目のようなタイミングで、私は新しい暮らしへと一歩を踏み出しました。
鎌倉のシェアハウスを離れると同時に、長く勤めていた薬局の仕事も一区切りに。
実は、それ以前から続けていた副業があって、そちらのお仕事は遠距離での勤務を許可してくれていました。
そのおかげで、「住む場所」をもっと自由に考えることができるようになったのです。
■ 実家での時間と、次の準備
引っ越しのあとは、しばらく実家でのんびり。
家族との時間を味わいながら、次にどこで暮らし、どこで働くか、自分の中でゆっくりと整理する期間になりました。
「家を建てたい」というのは、もう自分のなかで決まっていました。
建てる場所も、祖母の家を取り壊して、その跡地に──というのが最初からの考え。
ただ、そう決めていたとしても、すぐに実現できるわけではありません。
働き方のバランスや資金面、時期のことなど、考えるべきことはたくさんありました。
焦らず、でも確実に、未来の暮らしの輪郭を描いていきました。
■ 海の京都で暮らすということ
準備が整ってきた頃、次に選んだのは京都府北部の舞鶴。
天橋立や伊根といった美しい風景にも気軽に足を運べる距離で、
週末のたびにちょっとした旅気分を味わっていました。
この間も、家づくりの計画は少しずつ進んでいて、
相談していた地元の建築会社とリモートでやりとりを重ねていました。
■ 家を建てるというハードル
とはいえ、家づくりは楽しいことばかりではありませんでした。
とくに大変だったのが「住宅ローン」の審査です。
転職したばかりだったことに加え、新しい働き方での収入形態も一般的とは少し違っていたため、
審査に通るのが難しく、銀行探しにはかなりの時間とエネルギーを使いました。
それでも、「好きな家を建てたい」という思いを原動力に、
少しずつ、ひとつずつ、必要なことを進めていきました。
■ そして、暮らしの場所が決まった
舞鶴での暮らしも、冬にかけては通勤の不便さを感じるようになり、
別の勤務先へと移ることに。
次に選んだのは京都市内でした。
けれどその3ヶ月後には、今度は福井県内で働けることになり、
暮らしの拠点も再び移すことにしました。
まるで家づくりに合わせて環境が整っていくようで、不思議な流れを感じていました。
こうして、家づくりと仕事の両方がちょうどよくかみ合い、ようやく今の暮らしにたどりつきました。
■ 一緒につくってくれた人たちのこと
家づくりのあいだ、担当してくださった方々がとても素敵な方ばかりでした。
私が言葉にしきれない「こんな空間にしたい」という想いまで、
自然と受け取ってくれているような安心感がありました。
トラブルが一つもなかったわけではないけれど、
何かあったときも誠実に、そして必ず納得のいく形にしてくれた。
建て終えた今も、「またあの方たちと何かを作りたい」と思えるくらい、
大切な時間を共にしてもらった気がします。
■ 暮らしが、少しずつ馴染んできた
最初はまだ「ここが自分の家なんだ」とどこかふわっとしてたけれど、
毎日のごはん、洗濯、掃除、そんなふつうのことを繰り返すうちに、
この家での暮らしが、ちゃんと“自分のもの”になってきた気がします。
新しい家具や道具は、家ができる前からしっかり吟味して、気に入ったものを選んでいました。
でも、実際に暮らしてみて気づくこともあって、
細かなものは少しずつ、今も揃えている途中です。
お気に入りのものを少しずつ増やしたり、植物を置いてみたり、
静かだけど、じわじわと楽しくなってくる感じ。
たぶん、この家での暮らしはまだまだ途中。
これからも、少しずつ育てていけたらいいなと思っています。
いまはまだ途中。
でも、その“途中”が、案外いちばん楽しいのかもしれません。